ゲスに学ぶ
ゲスという言葉は耳障りが悪いし、意味も悪いから好きではない。
でも、最近観てる映画には、まさにゲスというキャラクターがよく出てくる。
今日観た映画「後妻業の女」の登場人物の大半はゲスだった。
(以下、若干映画のネタバレになります。)
タイトル通り、金持ちのじいさんの遺産目当てに結婚し、作為的に殺しさえする主人公は、火サスなんかでよくある、痴情のもつれで感情的に人を殺してしまう人よりも恐ろしい。
しかし、この映画は役者さんのフリ切れ方が半端ではなく、絶妙なコミカルさが成り立ってしまい、つい笑ってしまう。
ゲスいのに、楽しそうに生きてる彼らをうらやましく感じた。
あくまでフィクション相手だから言えることだし、殺人を許す気などさらさらない。そういうエピソードはさておいて、この
登場人物達のエネルギッシュさが、心底うらやましかった。
そしてふと思ったのだ。
40代無職で貯蓄もなく実家暮しな私が、呑気に映画や漫画を楽しんでいることも十分ゲスい。私は自分はゲスと思いたくなかったが、実はゲスだった、と。
そう認めたら、楽になった。
私はいつも理想の自分になれず、落ち込んで自分を責めてきた。
心屋仁之助さんの本も読んだけど、わからなかった。ゲスくなれって何?
それが、今日わかった。
この映画のおかげで。
ゲスという言葉を自分の欠点に置き換えたらいいかもしれない。
生きるのがつらかったり難しい人間は、自分の欠点をあってはならないと思ってる。
でも、あるから自分を責める。
私、こんな欠点ありますねん!
それが何か?
と思えない。
欠点というものはそれを本人が気にしてなければ欠点ですらなくなるのに。
ゲスな彼らは欠点を気にすることにはエネルギーは使わないだろう。
つまりゲスな奴らのエネルギッシュさの秘訣は、自分を責めないところにある。
罪悪感がないんである。
私もゲスな自分を責めることにエネルギーを使わず、ゆっくり休養して、やりたくないことを無理にしたりせずいれば、
またやる気もでてきて、かえってまともな生活が送れる気がする。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。