眠れない
つらい
暑い
明日は5時起き
不燃物捨てなきゃ
めんどくさい
やりたくない
でも母がうるさい
来月でもいいのに
私の体調など無視。私はしんどいのに頑張ってる!という理論。
私が早起きしないのがストレスだそうだ。
知るか。そりゃ、あんたの問題だろ。
私だって、そういうあんたがストレスだよ。
お互いを思いやれない自分中心な似た者同士なんだろう。
眠れない
つらい
暑い
明日は5時起き
不燃物捨てなきゃ
めんどくさい
やりたくない
でも母がうるさい
来月でもいいのに
私の体調など無視。私はしんどいのに頑張ってる!という理論。
私が早起きしないのがストレスだそうだ。
知るか。そりゃ、あんたの問題だろ。
私だって、そういうあんたがストレスだよ。
お互いを思いやれない自分中心な似た者同士なんだろう。
カルテットにすごく感動したわけたが、私の現実はつらい。
現実とドラマを比べてつらいと感じるくらいなら観ない方がましな気もするが、
それでも私がドラマを観てしまうのは、ちょっとの間でも、素敵な気持ちにさせてくれるから。憧れの世界をみせてもらえるから。
ドラマの作り手さんは、このドラマがだれかの背中を押してくれるきっかけになればいいとツイッターで書いてた。
確かに、そういうことはあるんだろうな。
それって素敵だ。
私もカルテット観て、なんかやる気が出てきた。ってなりたかったが無理だった。
でも、引きこもりぎみになってる今、ただただ辛い気持ちと向き合うよりは、あのドラマを観ている時間は幸せだったので、感謝している。
働く意欲は、一向にわかない。
母親に必死でがんばれと言われて余計イライラして。必死でがんばれないから仕事もやめた。うつ状態でおかしくなってたのが、12月から1月の話。なのに、ちょっと元気になってくるとこれだ。
母親は私の本心などわかろうとしない。
子供の頃から私を縛り付けて、私が、悩んでいたら、気にしすぎだとか、私にはわからない。と言うだけ。つらい時期に共感してくれたことなんてない。うつの私を受け入れてくれない。死にたいと騒いだときは、すごい形相で心配していたが、私が死んだら困ると言った。
彼女は私に依存してるのだ。老後をみてくれる一人娘が死んだら困るのだ。
伯父も同じだ。自分は都会で悠々自適。
私が死んだら、姉を自分が見なきゃいけない。だから私が働けなくなり、引きこもりになったら困るのだ。
私がつらくてたまらないのに、今は、何も考えずゆっくりしろ
とは誰も言ってくれなかった。
母親が逆ギレぎみに言ったことはあったが。
私のような状態の人が、母親に
生きてくれているだけでいい
と言ってもらえて、自分が愛されてると思った
という話を何かで読んだ。
私は、そんな風に思って思ってもらえないんだな、と思った。
時々早く死んでくれないかなとさえ思う。
それか、自分が親より先に死にたい。
親に依存してるくせに。でも私が、こうなったのは親のせいだ。
私の自立を何度も阻んだ。それに対する反省なんてない。私は、何度も乗り越えようとしたが、失敗した。
それは、私の無意識であり、母が私を縛るのも無意識だ。
母も自分の母との関係に不健全さがあった。
本当は誰も悪くない。
でも、自分を責めてつらくなり、自分で背負いきれなくなり、親を責める。
しかし、表面上は仲良くするので、よけいストレスがたまる。
親を捨てたい。でもお金がない私には無理。この親をいずれは介護し、自分の幸せなんかないまま私の人生は終わる。
現実に幸せがないから、私は、ドラマを観る。
しかし、1クール終わったあとの時期は退屈だ。
くだらん番組ばっかり。
カルテット、最終回を観た。
ドラマの最終回は、なんとなく、まあこんな感じよね…という場合も多い。
でもこのドラマは違った。素直に感動したし、納得もした。
現実にはこんなことあるわけない、ってけなす人がいるけど、そういう人は、そもそもドラマ観るには向いてないかも。
ノンフィクションや橋田壽賀子ドラマなら大丈夫かも?
主役の4人が大好きだったので見始めたのだが、最初は、
あ、苦手な感じのドラマだ。
と思った。
めんどくさい性格とか、理屈っぽい言い回しやわかりづらい例え。
頭の回転が遅い私にはついていけん、と。
でも、それぞれのもつ隠し事や過去が気になって観てしまう。
そして、それがわかるたび、彼らのいろんな面を知るたび、好きになっていった。
みんな、完璧なんかじゃない、でもそんなみんなが大好きなんだと、別府君は言った。
ドーナツホールのないドーナツはドーナツじゃない、という例えで。
穴(欠点)あっての私たち。
そうなのだ。最初は面倒に感じた家森さんの、唐揚げに対するこだわりも、最後には、それは彼のキャラであり、次は何を言い出すのか楽しみにさえなってくる。
家森さんのこだわりを理解できるまきさん、理解できんと思いながらも、受け入れている感じの別府くん。
相変わらずめんどくさ!えーい!とわざと嫌がらせをするすずめちゃん。
嫌がらせに 革命なの? とツッコミながらも、そんなにいやがってないであろう家森さん。
なんか、こんな幸せな光景あるだろうか…と思ってしまった。
あと、私は、実は家森さんのめんどくささ、自分にもあるわ!と気づいたしね。だから最初苦手だったんだ。きっと。(笑)
こんな関係性があれば、人は、強く生きられる気がするなあ。
ダメなところを見せても、ケンカしても続いていく。たとえ犯罪者だとしても。
私が、犯罪者になったとして、今つきあいのある人で、つきあいが続く人なんているのかな。
親ですらあやうい。
うらやましいなあ、ドーナッツホール。
書いてて気づいたけど、
幸せな家庭で育った人には、わりと当たり前の光景なのかな?
両親がいて兄弟がいて、みんな性格ちがうから、いろいろもめて。でも仲良くて。
というか、結局、家族でも恋人でも友人でも、ダメな自分ごと受け止めてくれたら、人は、安心できるんだろうな。
そういう人がいないとつらい。
そして、つらい人は、多い気がする。
家族も社会も、ダメじゃない人を評価するからだ。当たり前の気もするが、最近、そんな社会の方がおかしいとも思う。
でも、そんな社会が当たり前だから、それに合わせないといけなくて、疲れる。
病んでくる。
私は、そんな社会が苦手でドロップアウトしかかってる。
もう戻りたくない。引きこもっていたい。
しかし、ずっとこのままってわけにもいかない。
とはいっても、今現在仕事もせず、カルテットを観て感動できる環境がある私は、どう考えても幸せでしかない。
が、その幸せは、相対的な幸せ。
他人からしたら、幸せよ、あなたは。
と言われる幸せ。
世の中もっと不幸な人は、いる。
それに比べてあなたは幸せ。
その意見はおそらく正しい。
でも、私自身、幸せかと聞かれたら、自信をもって幸せとは言えない。
主体的にはそう思えない。
カルテット観て感動してること自体、生きづらさ感じてる人間である証拠か。
そう考えたら、幸せか。
生きづらい人間だから、あのドラマに感動できたんだから。